旦那がなくなって今が最高と言った近所のおばちゃん

近所のおばちゃんの旦那様がなくっなったことを聞いたので、その冬に帰った時に、お線香をあげにいった。
おばちゃん夫婦は、はたから見たらとっても仲のようご夫婦だった。
若いころはお姑さんとの関係で苦労をしていたおばちゃんも、夫婦仲良く二人暮らしを楽しんでいたように見えた。

おばちゃんには、子供もいて、広い敷地に2軒の家が建つ、とっても大きな田舎菜からではの家に住んでいた。
おじちゃんと一緒によく遊びにきては、二人で買い物をしながら帰って行った。
そんな二人には、ネタきりのお姑さんがいらしたが、最後までとってもよく面倒を見ていたらしい。
そんな二人だから、おじちゃんが亡くなった時にはおばちゃん一人で、気落ちしないかとかなり心配した。
ところがどっこい、おばちゃんは以前にもまして元気になってしまった。
おじちゃんがいたときには、遠慮があった一泊旅行も、お友達と出かけたりして、びっくりするほどアクティブだ。
きくと、第2の人生を再スタートさせたのだそうだ。
今度は、だれのためにではなく、自分のための人生をすごすことにポイントを置くのだそうだ。
この前向きな考えにはびっくりしてしまった。
たしかに、夫婦でいると、できることとできないことがある。
もちろん夫婦ならではの良さがあるのだが、年齢を重ねるうちに、そうでない時間がたのしいのかもしれない。
せっかくの人生なのだから、少しくらい自分が楽しむ時間をもちたいと思う。
だからこそ、今、その瞬間だと思ったのだそうだ。
素敵な人生を送っているおばちゃんを、是非見習いたいものだ、

バブル景気の経験の有無で変わるその後の人生

1986年から、1991年までの約5年間は、日本では、バブル景気というものが起きた。
そしてその時に、どの年代でどのような5年を過ごしたかでその後の人生観は変わっていると思う。
私の場合は、ちょうど管理職をやり始めたころであり、面白いほどビジネスが動いていた。

海外の企業の日本オフィスにいた私は、虎の威を借る猫のように、本国本社意向を日本の代理店に話し、協業を提案していた。
日本の名だたる企業と肩を並べているかのような言い草だったように思う。
しかし、何をいっても、商品は売れるのだから、代理店は、こことぞばかり、我々を担ぎ上げていた。
その時は、経費も必要とあればどんどん使えていた時期である。
夜の接待も多かった分、タクシーで帰る回数も多かった。
もちろん、終電になったからではなく、単にアルコールが入ったので、タクシーを使っていたのである。
今、思うと、経費の無駄遣いだ。
しかし、そんな中でも身になった経費もある。
営業の意気を高め、彼らを売る気にさせることが大切だった。
そして、それは、割りと成功している感があったように思う。
今、バブル景気を知らない人たちが周りには多くいる。彼らは経費の削減はできても、思い切った方策を打つことに、ためらいを感じている。
バブル景気をどのように過ごしたかは、その会社だけでなく、その人の人生に大きな影響を及ぼしているように思う。
思い切った策を打てるか、石橋を叩いているうちにひびを入れてしまうかほどの違いがあるのである。

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